トラウマ回復における「身体感覚」への気づき:グラウンディングの具体的な方法と支援者の役割
はじめに
大切なご家族など、身近な方がトラウマによる困難を抱えているとき、どのように寄り添い、サポートすれば良いのか、戸惑いや不安を感じることは少なくないと思います。時に、言葉にならない身体の不調や不快感に苦しんでいる様子を見て、心を痛めているかもしれません。
トラウマは、私たちの心だけでなく、身体にも深く影響を及ぼします。過去の出来事によって、身体が常に緊張していたり、特定の感覚に過敏になったり、あるいは逆に感覚が麻痺したりすることがあります。こうした身体の反応は、回復の道のりにおいて無視できない側面です。
この記事では、トラウマからの回復をサポートする上で重要な「身体感覚への気づき」と、そのための具体的なアプローチである「グラウンディング」についてご紹介します。そして、支援者であるあなたが、大切な人へどのように寄り添い、またご自身の心身も大切にしながら共に歩んでいけるかについてもお伝えします。
トラウマと身体感覚のつながり
トラウマ体験は、脳の危険を察知する部分や、身体の反応を司る神経系に大きな影響を与えます。これにより、安全な状況でも身体が過去の危険を再現するかのように反応してしまうことがあります。例えば、心拍数の上昇、呼吸の乱れ、筋肉の緊張、胃の不調、寒気や熱感などが挙げられます。また、感情を感じにくくなったり、身体の一部や全体の感覚が遠のいたりする「解離」という反応として現れることもあります。
こうした身体の反応は、トラウマからの回復を妨げる要因の一つとなり得ます。しかし、逆に、自分の身体で今起きていることに意識を向ける練習をすることは、感情を調整し、落ち着きを取り戻し、現実世界とのつながりを感じるための強力な手助けとなります。これは、レジリエンス(困難から立ち直る力)を高める重要な因子となり得ます。
レジリエンスを高める「身体感覚への気づき」
レジリエンスは、単に「強い心」を持つことではありません。それは、困難な状況の中でもしなやかに適応し、バランスを取り戻していく力です。自分の感情や思考だけでなく、身体で何が起きているかに気づくことは、このレジリエンスを育む上で非常に有効です。
身体感覚に意識を向ける練習をすることで、感情の波に飲み込まれそうになったときや、過去のフラッシュバックがよぎったときに、「今、自分の身体はこう感じているんだな」と一歩引いて客観的に捉えることができるようになります。これにより、圧倒されそうな感覚から距離を取り、落ち着きを取り戻すための行動(例えば、深呼吸をする、安全な場所に移動するなど)を選び取ることが可能になります。
グラウンディングとは何か
グラウンディング(Grounding)とは、「地に足をつける」「自分を安定させる」といった意味合いを持ちます。心理的な文脈では、不安や感情の波に襲われたとき、あるいは現実感が薄れたときに、意識を「今、ここの身体」や「今の現実」に戻すための様々な技法を指します。
グラウンディングの目的は、過去のトラウマや未来への不安にとらわれた心を、現在の安全な状況につなぎ止めることです。身体感覚に意識を向けることで、自分が「今、ここに存在している」ことを実感し、心の混乱を和らげ、落ち着きを取り戻すことを目指します。
具体的なグラウンディングの実践方法
グラウンディングには様々な方法があります。ご本人に合う方法を見つけることが大切です。いくつか例をご紹介します。
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呼吸に意識を向ける:
- ゆっくりと鼻から息を吸い込み、口から吐き出すことに意識を集中します。
- 吸う息でお腹が膨らみ、吐く息でお腹が凹むのを感じてみます。
- 呼吸の速さや深さを変えてみて、心地よいリズムを見つけます。
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五感を使う:
- 視覚: 自分の周りにあるものに目を向け、「赤いものを3つ見つける」「見えるものを5つ言葉にする」などを行います。
- 聴覚: 聞こえてくる音に耳を澄まします。遠くの音、近くの音、様々な音を聞き分けようとしてみます。
- 触覚: 自分が座っている椅子の感触、衣服が肌に触れる感触、手で触れるものの質感などを意識します。足の裏が地面についている感覚に意識を向けるのも有効です。
- 嗅覚: コーヒーやアロマオイルなど、心地よい香りを嗅いでみます。
- 味覚: 飴を舐めたり、飲み物を飲んだりして、味覚に意識を集中します。
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身体を動かす:
- その場で足踏みをしたり、軽くジャンプしたりします。
- 手足をゆっくりと伸ばしたり、縮めたりします。
- 肩をすくめて力を入れ、フッと息を吐きながら力を抜きます。
これらの方法は、特別な準備なく、いつでもどこでも行うことができます。まずは短い時間から試してみるのが良いでしょう。
支援者ができること:大切な人へのグラウンディングの紹介・サポート方法
トラウマを抱える大切な人にグラウンディングを勧める際は、いくつかの点に配慮が必要です。
- 押し付けない: グラウンディングは、ご本人が「やってみようかな」と思ったときに最も効果を発揮します。「これをやれば良くなるよ」と強く勧めるのではなく、「こんな方法もあるみたいだよ」「試してみることで、少し楽になるかもしれないね」といったように、選択肢の一つとして優しく提示するのが良いでしょう。
- タイミングを見計らう: 強い感情の波に圧倒されている最中よりも、少し落ち着いてきた時や、普段の穏やかな時に「こんな方法を知っている」と伝える方が受け入れられやすい場合があります。
- 一緒にやってみる: もしご本人が興味を持ったら、一緒にグラウンディングの練習をしてみるのも良いでしょう。あなたが実践する様子を見せることで、安心感を与えることにもつながります。
- 反応を受け止める: グラウンディングを試した結果、何も感じなかったり、かえって不快に感じたりすることもあります。そのような反応も否定せず、「そう感じたんだね」とそのまま受け止めることが大切です。効果がないように見えても、身体感覚に意識を向けようとしたこと自体が一歩です。
- 安全な環境を提供する: グラウンディングを試す際に、ご本人が安心して行える静かで落ち着いた場所を確保することが重要です。
- 専門家への相談を勧める可能性: グラウンディングは有効なセルフヘルプツールですが、トラウマケアの全てではありません。必要に応じて、専門家(医師、カウンセラー、心理士など)に相談することも選択肢にあることを伝えても良いでしょう。
大切なのは、あなたが「治してあげる」のではなく、ご本人がご自身の力で回復していく道のりを、根気強く、そして信頼して見守り、必要なときにそっと手を差し伸べる姿勢です。
支援者自身のセルフケアとしてのグラウンディング
大切な人をサポートする立場にあるあなたは、多かれ少なかれ、その困難さや感情的な負担に影響を受けることがあります。共感疲労やバーンアウトを防ぐためにも、あなた自身のセルフケアは非常に重要です。グラウンディングは、支援者自身の心を整えるためにも有効な方法です。
- サポート中に感情が揺らいだとき: 大切な人の苦しみに触れて、あなた自身も辛くなったり、不安になったりすることがあるかもしれません。そんなとき、まずは自分の呼吸や足の裏の感覚に意識を向けてみましょう。今、自分が「ここにいる」ことを確認することで、感情に飲み込まれそうになるのを防ぐ助けになります。
- 一日を終えてリフレッシュしたいとき: 支援の役割を終えた後、意図的にグラウンディングの時間を持つことで、気持ちを切り替え、仕事やサポートのモードから自分自身の時間へとスムーズに移行することができます。
- 境界線を意識する: グラウンディングを通して自分の心身の状態に敏感になることは、「これは大切な人の感情、これは自分の感情」といった境界線を意識するためにも役立ちます。
支援者として、ご自身の心身の健康を保つことは、結果として大切な人へのより質の高いサポートにつながります。グラウンディングを日々の習慣に取り入れてみることをお勧めします。
まとめ
トラウマからの回復は、一人ひとりに異なるプロセスがあり、一朝一夕に進むものではありません。その道のりでは、身体的な不快感や感情の波に直面することもあります。
「身体感覚への気づき」と「グラウンディング」は、こうした困難を乗り越えるための有効なツールであり、レジリエンスを高める一助となります。これは、トラウマを抱えるご本人だけでなく、寄り添う支援者にとっても大切なスキルです。
大切な人へのサポートにおいては、グラウンディングを優しく提示し、ご本人のペースと意思を尊重することが最も重要です。そして、あなた自身もグラウンディングを実践し、ご自身の心身を大切にケアすることを忘れないでください。
共に歩む道のりの中で、身体の感覚に意識を向け、「今、ここ」に根差す時間を大切にすることが、回復への確かな一歩、そして支援者としての穏やかな歩みにつながることを願っています。