トラウマからの回復における感情との健全な向き合い方:感情に圧倒されず、レジリエンスを高めるサポートと支援者のセルフケア
はじめに
大切なご家族やご友人がトラウマを抱え、その回復の道のりをサポートしたいと考えていらっしゃる皆様へ。トラウマは、ご本人だけでなく、その周囲にいる大切な方々にも大きな影響を及ぼすことがあります。特に、トラウマによって引き起こされる感情の波や、予測困難な反応にどのように寄り添えば良いのか分からず、不安を感じている方もいらっしゃるかもしれません。また、支援する側として、ご自身の心身の負担を感じていらっしゃることもあるでしょう。
この状況を乗り越えるために、レジリエンス、すなわち困難から立ち直るしなやかな強さを育むことが重要になります。レジリエンスは特別な能力ではなく、様々な因子によって構成され、意図的に育むことができるものです。そして、トラウマからの回復における重要なレジリエンス因子の一つに、「感情との健全な向き合い方」があります。
感情は私たちの内面を知る重要な手がかりであり、困難な状況においても適切に感情を認識し、理解し、対処する能力は、回復への道を歩む上で不可欠です。このプロセスは、トラウマを抱えるご本人だけでなく、サポートする皆様にとっても同様に重要です。
この記事では、トラウマからの回復における感情との向き合い方に焦点を当て、感情との健全な関係を築くことがどのようにレジリエンスを高めるのか、そして大切な人への具体的なサポート方法や、支援者自身のセルフケアについて、専門的な知見に基づいて分かりやすく解説いたします。
トラウマと感情の複雑な関係性
トラウマ体験は、心に深い傷を残し、しばしば感情の調節を困難にします。トラウマを経験した方は、突然強い不安や恐怖に襲われたり、怒りや悲しみがコントロールできなくなったり、あるいは感情そのものを感じられなくなったりすることがあります。これは、脳の情動を司る領域やストレス反応システムが、トラウマによって過敏になったり機能不全を起こしたりすることに関連しています。
こうした感情の不安定さは、ご本人にとって非常に苦痛であり、周囲の方々もどのように接すれば良いのか戸惑うことがあるかもしれません。しかし、これらの感情の反応は、異常なものではなく、トラウマに対する自然な反応の一部として理解することが、サポートの第一歩となります。
レジリエンスを高める「感情との健全な向き合い方」
感情との健全な向き合い方とは、感情を抑圧したり無視したりすることではなく、感情をありのままに認識し、理解し、そして適切に対処する能力のことです。これは、レジリエンスを構成する重要な心理的因子の一つです。
困難な状況に直面した際に、自分の感情に気づき、「今、自分は不安を感じている」「これは悲しみだ」と認識できることは、その感情に振り回されず、一歩引いて状況を見つめ直すことを可能にします。感情を敵視せず、自分の一部として受け入れつつ、その感情にどのように対応するかを選択できるようになることが、回復の道のりにおいて、そしてレジリエンスを高める上で非常に大切です。
具体的なアプローチ:感情のラベリングと距離の取り方
感情との健全な向き合い方を育むための具体的なアプローチとして、「感情のラベリング」と「感情との距離の取り方」をご紹介します。
1. 感情のラベリング(名づけ)
感情のラベリングとは、心の中で感じている漠然とした不快感や強い衝動に、具体的な言葉で名前をつけることです。例えば、「何か気持ちが悪い」という感覚に、「これは不安だ」「これは怒りだ」「これは無力感だ」といった言葉を当てる作業です。
- なぜ重要か: 感情に名前をつけることで、その感情を客観的に捉えやすくなります。名前のない、形のないものに圧倒される感覚から、「これは〇〇という感情だ」と認識することで、コントロール可能なものとして捉えやすくなります。また、脳の情動に関わる領域の活動を落ち着かせる効果があることも研究で示唆されています。
- 実践のヒント:
- 静かな時間を作り、自分の内面に意識を向けます。
- 体や心に感じられる感覚に注意を向けます。「今、胸のあたりがザワザワする」「喉が詰まる感じがする」「頭の中がモヤモヤする」など、具体的な感覚に気づきます。
- その感覚に関連する感情の言葉を探します。「これは、もしかして恐れかな」「これは、怒りの感覚に近いかもしれない」「これは、寂しさだろうか」と問いかけてみます。
- 適切な言葉が見つからなくても構いません。いくつかの候補を挙げたり、「これは名づけられない、複雑な感情だ」と認識したりするだけでも意味があります。
- 感情をジャッジせず、「良い感情」「悪い感情」と評価せず、ただ「ある」と認識することが大切です。
2. 感情との距離の取り方
感情との距離を取るとは、感情と自分自身を同一視しないということです。「私は悲しい」ではなく、「私の中に悲しみという感情がある」と捉え直すアプローチです。これは、感情に巻き込まれて行動が衝動的になったり、感情に圧倒されて身動きが取れなくなったりすることを防ぐ助けになります。
- なぜ重要か: 感情は一時的なものであり、絶えず変化しています。感情と自分を切り離して考えることで、強い感情に直面しても、「これは今の感情であり、私自身ではない」「この感情はいつか過ぎ去る」と冷静さを保つことができます。これにより、感情に支配されることなく、状況に対してより建設的な対応を選択できるようになります。
- 実践のヒント:
- 感情に気づいたら、「今、私は〇〇という感情を感じている」と心の中で、あるいは静かに言葉にしてみます。自分自身を主語にするのではなく、「感情」を主語にするイメージです。
- 感情を雲や川の流れに例えてイメージしてみます。感情は空に浮かぶ雲のように流れていくもの、あるいは川を流れる葉っぱのように過ぎていくものだと捉えます。
- 感情を、自分の内側で起こっている「出来事」として観察する練習をします。自分自身が観察者となり、感情がどのような性質を持っているか(強さ、色、形など)を、好奇心を持って観察してみるような感覚です。これはマインドフルネスの実践とも関連が深いです。
- 感情が「真実」であるとは限らないことを思い出します。感情はあくまで主観的な感覚であり、必ずしも現実を正確に反映しているわけではありません。
トラウマを抱える大切な人へのサポートの視点
これらの感情との向き合い方のアプローチは、トラウマを抱えるご本人へのサポートにも応用できます。
- 感情の表現を受け止める: 大切な人が感情を表出した際には、その感情そのものを否定したり、軽視したりせず、「〇〇という感情を感じているのですね」と、まずは受け止める姿勢を示すことが大切です。感情のラベリングを促す場合は、「今、悲しい気持ちですか」のように、決めつけずに優しく尋ねる形が良いでしょう。
- 感情に圧倒されている時: フラッシュバックや強いパニックなどで感情に圧倒されているように見える時は、まずは安全を確保し、グラウンディング(今、ここに意識を戻すこと)を促す声かけが有効です。「足が床についているのを感じますか」「私の声が聞こえますか」など、五感に訴えかける具体的な言葉が助けになることがあります。
- 安全な場を提供: 感情を表現できる安全で、評価されない場を提供することが、回復においては非常に重要です。じっくりと耳を傾け、共感的に寄り添う姿勢を示すことが、ご本人が感情を健康的に処理していく上で大きな支えになります。
- 過剰な感情の肩代わりを避ける: 支援する側が相手の感情に強く引きずられすぎると、共倒れのリスクが高まります。相手の感情に寄り添いつつも、自分自身の感情との境界線を保つ意識が大切です。
支援者のセルフケア:自身の感情との向き合い方
大切な人をサポートする過程で、支援者自身も様々な感情を経験します。相手の苦しみに触れることによる共感疲労、何もできないと感じる無力感、状況が進展しないことへの焦りや苛立ちなど、様々な感情が湧き上がることがあります。これらの感情に気づき、適切に対処することは、支援を継続するためにも、ご自身の心身の健康を守るためにも不可欠です。
- 自身の感情に気づく: まずは、自分の中にどのような感情が湧き上がっているのかに気づくことから始めます。疲れているな、不安を感じているな、少し腹立たしいな、といった正直な気持ちを認めます。
- 自身の感情のラベリングと距離の取り方を実践: 大切な人へ勧めるのと同じように、ご自身の感情に対してもラベリングや距離の取り方を試してみてください。「今、私は共感疲労を感じている」「私の中に無力感がある」と認識することで、感情に飲み込まれることを防ぎます。
- 感情を安全に処理する: 湧き上がった感情を、安全な方法で外に出すことも大切です。信頼できる家族や友人、あるいは専門家(カウンセラーなど)に話を聞いてもらう、感情を書き出す(ジャーナリング)、適度な運動をする、泣きたい時には泣くなど、ご自身に合った方法を見つけましょう。
- 境界線の設定: 相手の感情と自分の感情の間に健全な境界線を設けることは非常に重要です。相手の感情に寄り添うことと、相手の感情を自分のものとして引き受けてしまうこととは異なります。物理的な休息の時間だけでなく、心理的な距離感を意識することもセルフケアの一環です。
- 専門家への相談: 支援者自身の感情的な負担が大きいと感じる場合は、迷わず専門機関に相談してください。自身の感情と向き合い、処理するためのサポートを受けることは、燃え尽きを防ぎ、より長く、より効果的に大切な人をサポートするためにも不可欠です。
専門機関との連携の重要性
トラウマからの回復は複雑なプロセスであり、専門的な知識やサポートが必要となる場面が多々あります。感情の調節が特に困難な場合や、フラッシュバック、解離などの症状が頻繁に見られる場合は、精神科医や臨床心理士、トラウマ専門のカウンセラーといった専門家の支援が不可欠です。
支援する側として、ご本人に専門家のサポートを勧めること、そして必要であれば、ご本人の同意を得て専門家と連携を取ることも重要なサポートとなり得ます。また、支援者自身が専門機関に相談することで、具体的なアドバイスを得られたり、自身の負担を軽減するためのサポートを受けられたりします。
まとめ
トラウマからの回復において、感情との健全な向き合い方は、ご本人と支援者の双方にとって極めて重要なレジリエンス因子です。感情に名前をつけ、感情と自分自身の間に健全な距離を置くことは、感情に圧倒されず、冷静さを保ち、状況に対してより建設的に対応する力を育みます。
このプロセスは決して容易ではありません。感情の波に戸惑い、時に後退を感じることもあるでしょう。しかし、感情は敵ではなく、自分を知る手がかりであり、回復への道のりを歩む上で避けられない一部であることを理解し、一つずつ丁寧に向き合っていくことが大切です。
大切な人の感情に寄り添う際には、その感情をありのままに受け止める姿勢が力になります。そして、支援者ご自身の感情にも同様に注意を払い、自身のセルフケアを怠らないことが、長期的なサポートを続けるための鍵となります。
困難な道のりではありますが、希望は常にあります。感情との健全な向き合い方を育むことは、ご本人と支援者の両方のレジリエンスを高め、トラウマからの歩みを力強く進めるための確かな一歩となるでしょう。専門機関のサポートも活用しながら、この大切なプロセスを共に歩んでいきましょう。